「この人を訪ねて」の目次に戻る。
ZUIUNのトップページに戻る。
京唐紙唐長−千田堅吉さん

 

 
 唐紙の本流を手刷りの技法とともに全国で唯一軒守り続けているのが京唐紙の「唐長」。創業は江戸時代の寛永年間(一六二四〜四四)で、当代の堅吉さんで十一代目。唐紙はもともと中国渡来の紙のことでしたが、平安時代に国産の紋唐紙を「唐紙」と呼ぶようになり、京でつくられたことから「京唐紙」と呼ばれるようになりました。
 「唐長」は、もともと紙関係の店が多く集まった中京の東洞院三条の地に店を構えていましたが、昭和四十五年、お父さんの代に馴れ親しんだ伝来の地を離れ、修学院近くの現在地に移ったということです。
 明治時代、文明開化の流れの中で近代化がはかられ、印刷機の導入で襖紙も印刷適性のよいものになり、「京唐紙」も衰退し、同業者は転廃業し、「唐長」一軒に。「唐長」が生き残れたのは江戸時代からの御所、寺社、三千家などの顧客を持っていたことに加え、なにより版木を持っていたことによります。先祖から伝わり今も現役として使っている版木は六五〇枚。



丹念に彫られた版木から、
みごとな唐紙が生まれでます。
1942年京都市生まれ。
京都工芸繊維大学
色染科卒業。
サラリーマン生活の後
父長次郎氏のもとで修業。
1976年より家業を継ぐ
桂離宮の大修理
(1978〜82年)
では、襖・壁紙の桐紋制作に責任者として従事。
 「唐長」十一代目(当代)の堅吉さんは大学では化学を学び、それに関連する会社に就職、五年間のサラリーマン生活の後、家業に就かれたとのことでした。
 「はんなり・渋い・手加減・色合い・感触など、ことばにいいあらわせないことばかりで、理屈どおりに手が動かなく、理屈は捨てよう、とにかく技術をマスターしてからと思いました。五年のサラリーマン時代があったことで、違った目で家業を見ることができるようになり、視野も広がりました。その点では回り道をしてきた分、よかったと思っています」とこの道に入られたきっかけを話してくれました。そして、伝統工芸に携わっている今を次のように語られました。



和紙の持つあたたかさと絵具の控えめな色彩が
はんなりとした美を生む。
茶道にゆかりの深い文様の襖の数々。
 「今は時代の流れかじっくりと手をかけて作る時間をもらえないんです。それに時代感覚も大事にしないと。時代に合う唐紙は、模様を変えずに色を変える‥‥ですね。伝わっている版木は六五〇枚、半分は江戸時代のものです。明治の初め頃に二〇〇〜三〇〇枚割っているんですね。道具というのは非情なもので、使わないものは処分されたのです。版木は柄のいいのが今もありますので、唐紙を摺る技法を変えなくてもいいんですね。まさに手加減だけです。手づくりは差があってあたりまえというのではなく、そろえて当たり前なんですけど、『作った』という職人技をだしたらだめなんですね。使い勝手が良いものでないと‥。そのへんは、熟練というか手技ですけれど、手技がみえたらいけないんです。京都のもの作りというものは、職人は一歩ひいたもの作りをするんです。京ものは『はんなり』がないと。それに、唐紙は用の美なんです。目立ってはいけない、さりげなさがいいんです。その場の空気を作るのが唐紙なんです。脇役であって主役になってはいけない」ともの静かな語り口で語ってくれました。


一般の方もからかみに親しめる「小ものショップ」
(工房に併設)
「この人を訪ねて」の目次に戻る。
ZUIUNのトップページに戻る。